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「ピンチはチャンス」の精神で、これからも挑戦を続けます。
2007年入社
米田 雅孝
砕石事業部 次長
工業高校の土木科を卒業後、建設会社で現場監督や職人として、土木関連の仕事に携わる。そこで得た経験を活かしつつ、さらに仕事の幅を広げるため2007年に徳本砕石工業に入社。以来、ピンチにぶつかっても逃げずに立ち向かうことで成長を続けてきた。プライドを持って、さまざまな建造物の基盤となる自社製品の品質管理に取り組んでいる。
自分の将来を不安なく託せる、安定性とやりがいをあわせ持った仕事。
仕事が天候に左右されない安定性を求め就職活動。以前から興味のあった製造業で自分の力を試したかったのと、当時お付き合いしていた彼女の父親が徳本砕石工業で働いていた縁もあり、入社を決意しました。結局その彼女とはすぐに別々の人生を歩むことになったものの、入社当初は上司でもあった彼女の父親はがとてもよい人で、気まずくならないように気遣いいただいたことを今も覚えています。おかげでこうして長く続けられていることに感謝です。今は品質管理課に在籍し、自社の試験室で製品試験などを行いながら、製品が日本産業規格(JIS)の規格値を満たしているかを判断しています。当社がJIS規格を取得したときから始まった新しいジャンルの仕事で、当初は担当したがる人がいない状況でした。しかし私は、ゼロからのスタートが逆に自身にとってチャンスだと考えたのです。勉強は得意ではありませんが、「自分がやらなければ誰がやる」の精神で地道に取り組み、数年かけて資格を取得しました。品質管理は表舞台に立つことは多くありませんが、製品の品質を守る「最後の砦」。その自負を持ち、気を引き締めて取り組んでいます。
失敗が、かけがえのない教訓に。自分を大きく成長させてくれました。
私には、忘れられない失敗談があります。実は、仕事に慣れて会社からの評価もいただき、波に乗っていたころ、私の態度や言葉の端々に横柄な印象を与えるようになってきていたのです。そのせいで自分の気付かないところで周囲に迷惑をかけ、自分の評判を落としていました。そんな天狗になっていたある日、当時の上司から言われたのが、「会社は君が入社したときから変わっていないし、私も君に対して変わったつもりはない。変わったのは君1人だけだ」という言葉です。それを聞いて大きな衝撃を受けたことは言うまでもありません。いつの間にか、初心を忘れて、自分ひとりでも何でもできると思っている自分自身に気付かされたのです。今は次長という立場をいただき、マネージメントの仕事も任されるようになりたものの、当時の失敗を忘れないように強く意識。たとえば、部下や後輩にアドバイスするときは、「自分だったら」と自分本位で考えず、相手の立場に立って相手本位で考えるようにし、「あのときのような振る舞いをしていないか?」と自問自答を常に実践しています。
チャンスは目の前に数多くあります。臆せずつかみ取ってほしい。
徳本砕石工業が求める人材像は、「ウソをつかない真面目な人柄」です。ひとつのことをあきらめず最後まで継続できる人は、当社に向いています。あとは、「礼儀」「挨拶」「身だしなみ」も大切です。仕事自体は日々変化に富んでいるというわけではありませんが、何十万ヘクタールという大自然の中で行うので、息がつまることはありません。また当社では他社から材料を仕入れてくるということがなく、資源の確保から製造出荷まですべて自社で一貫して行っています。仕事の幅が広いので、きっとその中に自分の力や知識を発揮してもらえる場があるのではないかと思います。年功序列ではない当社では、年齢や勤続年数に関係なく、本人の努力と成果が公正に評価されます。たとえ、大きな壁が前途に立ちはだかっても逃げずに立ち向かえば、頼りになる先輩や気さくな仲間、面倒見のよい上司が自然と手を差し伸べてくれ、「ピンチ」を「チャンス」に変えることができるでしょう。縁の下で社会を支えるやりがいある仕事を、ぜひ最後の職場に選んでほしいと思います。
職場の年齢層は20代~70代と親と子の二世代どころか、親と子と孫の三世代と言ってもおかしくないほど幅広いです。さらに、スタッフの中には実際の親子や兄弟、友人同士、学校時代の先輩後輩で働いている人もいます。そんな一般的な会社以上に濃い人間関係もあってか仲間意識も高く、職場の雰囲気も抜群です。上司や先輩は頼りになり、良い人が多く機械の操作方法なども親切、丁寧に教えるので、安心して飛び込んできてください。
取材:2020年7月