高校卒業後の進路を決める時に、子どもが好きだから保育士を目指そうかと思ったのですが、災害などで苦しんでいる方を助ける自衛隊にも魅力を感じていて、思いきって自衛隊の試験を受けたのです。筆記試験は通過したのですが、体重が規定をかなり下回り、不合格になってしまいました。翌年の再受験も頭をよぎったのですが、親から「人を助ける仕事がしたいなら看護師になったら」と勧められ、この言葉がきっかけで、看護学校に通うことにしたのです。当時の看護学生は、朝は学校に通い、夕方から病院で働くことが一般的で、その時に勤めていた病院が『田中病院』でした。当院を選んだ理由は、家から近かったから。朝から夕方まで学校で勉強をし、夕方から20時まで仕事をしていたため、通勤時間が短ければ学校と仕事を両立しやすくなりますから、この通いやすさは重要でした。
5年後に学校を卒業し、卒業後も当院で働くことを選びました。続けようと思った理由は、家から近いことももちろんあったのですが、当時の先輩・看護師長が私をとても大事にしてくれたことが大きかったですね。技術も人柄もお手本になるひとばかりで、しかも厳しい時は厳しく、やさしい時はやさしくというメリハリが心地よかったのです。この心地よさは現在も変わっておらず、おかげさまで1983年の入職以来、ずっとここで看護師の仕事を続けることができています。
一生働ける病院です。
力を存分に発揮でき、ウデを磨ける環境です。
2012年入職
高校時代の進路相談で、理学療法士という仕事があることを教えてもらい、興味を持ったことがきっかけで、理学療法士の専門学校に進学しました。専門学校を卒業後、当院に新卒で入職しました。当院を選んだ理由は、家から自転車・バイクで通勤ができたからです。それと、現在私が所属しているリハビリテーション科の科長が学校の先生の先輩で、先生から「おおらかで穏やかな人柄だから、自分らしく働けると思うよ」と話してくださったことと、専門学校時代に当院で実習をしていた友人から「雰囲気が和やかで、いろんな疾患の患者様を見ることができる病院だよ」と言っていたことに魅力を感じたからです。実際、面接は科長が担当してくれたのですが、とても印象がよかったです。「爽やかなひとだなあ」と。あと、大人数だと委縮してしまうと思いましたので、職員数がそれほど多くないところにも惹かれました。
現在は、ケガ・病気で生活をする上でお困りの入院患者様や外来患者様に、手足や間接の動きを正常範囲に戻す訓練や、弱っている筋肉の筋力強化、動作訓練などを行い、日常の必要な動作を獲得して、在宅や元々いらっしゃった施設に戻っていただくためのリハビリをしています。外来患者様には若い方もいらっしゃり、入院患者様はご高齢の方が多くいらっしゃいます。幅広い年齢層の患者様と接していますので、対応力はかなりアップした実感があります。
『田中病院』に出会えてよかったです。
2018年入職
私は幼い頃から20歳過ぎまで、病気のため幾度となく入院・手術をしました。この入院時に出会った看護師さんがとてもやさしくて、「私もあの看護師さんみたいになりたいな」と憧れを抱いたことが、この道を志したきっかけです。高校卒業後、看護学生として働きながら看護師免許を取得して他院に入職し、地域包括ケア病棟で勤務していました。
当院に転職の理由は、私の子どもの体調の事情で一時期、学校への送迎が必要になり、その時に勤めていた病院では送迎の時間を確保できず、仕事を続けることが難しくなったからです。そこで、看護師に特化した人材派遣会社に登録し、勤務時間の融通がきく職場を探していたところ当院を紹介されたのです。
送迎の時間帯が早く、迎えに行った後に病院にも連れていくため、終業が早いパートとして入職しました。その後4~5ヵ月が経って子どもの体調が落ち着き、送迎の必要がなくなったタイミングで常勤職員としての勤務に切り替えてもらいました。
現在は地域包括ケア病棟で、自宅・施設への復帰を目指してリハビリ・治療をされている患者様の看護をしています。当院の地域包括ケア病棟は、私が入職する2ヵ月ほど前に稼働したばかりの新しい診療科でしたので、培ってきた経験を活かして盛り立てていきたいと想い、この病棟での勤務を希望しました。
1983年入職