スタッフインタビュー詳細

一生働ける病院です。

内木場 美代子
看護師長 医療療養病棟
1983年入職
1983年の入職以来、ずっと『田中病院』で看護師をしています。

高校卒業後の進路を決める時に、子どもが好きだから保育士を目指そうかと思ったのですが、災害などで苦しんでいる方を助ける自衛隊にも魅力を感じていて、思いきって自衛隊の試験を受けたのです。筆記試験は通過したのですが、体重が規定をかなり下回り、不合格になってしまいました。翌年の再受験も頭をよぎったのですが、親から「人を助ける仕事がしたいなら看護師になったら」と勧められ、この言葉がきっかけで、看護学校に通うことにしたのです。当時の看護学生は、朝は学校に通い、夕方から病院で働くことが一般的で、その時に勤めていた病院が『田中病院』でした。当院を選んだ理由は、家から近かったから。朝から夕方まで学校で勉強をし、夕方から20時まで仕事をしていたため、通勤時間が短ければ学校と仕事を両立しやすくなりますから、この通いやすさは重要でした。

5年後に学校を卒業し、卒業後も当院で働くことを選びました。続けようと思った理由は、家から近いことももちろんあったのですが、当時の先輩・看護師長が私をとても大事にしてくれたことが大きかったですね。技術も人柄もお手本になるひとばかりで、しかも厳しい時は厳しく、やさしい時はやさしくというメリハリが心地よかったのです。この心地よさは現在も変わっておらず、おかげさまで1983年の入職以来、ずっとここで看護師の仕事を続けることができています。

看護師長として、看護師一人一人を見守りながら“仲よく、やさしい職場づくり”に取り組んでいます。

現在は医療療養の看護師長をしています。
看護師長として心がけていることは、職員同士のチームワークが取れた職場、そして患者様にやさしいケアができる職場をつくることです。この想いを形にするため私がしていることは、こまめな個人面談です。みんなの様子を見ていて、どんな些細なことでも気になることを見つけたら面談を行っています。「大丈夫なの」と言葉をかけることもあれば、「こうしたほうがいいよ」と指導することもあります。
看護師として心がけていることは、患者様にやさしく接することです。あと、年齢とともに視力の低下などで技術力が落ちてきますので、技術力をキープするため、教える側としての仕事がメインになっていますが、吸引やバルーンなどの機会があれば率先して引き受けています。

看護師の年齢層は40代~70代ということもあって詰所内は落ち着いた雰囲気です。ただ、フレンドリーなメンバーがそろっていて、役職に関係なく誰とでも気軽に話ができる風通しのいい環境になっています。もちろん、厳しくしないといけないところは厳しくしていますが、休憩時間や合間の時間には他の職員と冗談を言い合っています。また、他部署との仲もよく、事務職員と一緒に食事や野球観戦に行く看護師もいるなど、職種間のカベがないところも自慢です。

ワーク・ライフ・バランスをしっかり組み立てられますので、子育て世代の方も働きやすい環境です。

職員には、保育園や小学校に通う年齢のお子さんがいるメンバーが多く、仕事が終われば学童・保育所へのお迎えがあります。時には、お子さんを病院などに連れていかないといけないこともあるなど、何かとすることがあります。そこで、できるだけ早く帰ってもらうため、当院では“残業なし”を推奨しています。実際、全部署を通して残業は少なめで、看護部に関してはほとんどありません。これができる理由は、一人一人が時間内に業務を完了できる能力を持っていることと、定時内で“その人にしかできない業務”を終わらせているからです。仮に時間内に終わらなかったとしても、残った業務は他の看護師で対応できるものばかりで、この業務は管理職が引き受けています。ですので、17時15分の終業時刻には全員が帰宅できるようになっているのです。

他にも、小学校1年生になったばかりのお子様は、学校に慣れるまでが大変ですから、入学月である4月の1ヵ月間は、出勤時間を1時間遅く、あるいは退勤時間を1時間早くできる制度があります。職員はこの短縮された時間を活用してお子様を送り迎えし、学校に慣れるためのサポートができるのです。あと、台風などで休校になった際には、小学校6年生までのお子様を病院に連れてくることができます。
このように職員の子育てを手厚く応援している病院ですから、出産・育児などでライフステージが変わっても無理なく続けることができます。安心して入ってきてください。

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