都営バス100周年・「みんくる」25周年イベント開催![ 前編 ]
■ 東京ビッグサイトで開催の珍しい屋内型バスイベント
2024年10月5日。「バスまつり2024 in東京ビッグサイト 都営バス100周年 & みんくる25周年W記念祭」は、小雨(こさめ)の降る土曜日の午前10時からスタートしました。
会場は東京ビッグサイトの東7ホールで、屋内での開催となりました。
東京臨海高速鉄道りんかい線の国際展示場駅や新交通「ゆりかもめ」の東京ビッグサイト駅から向かって行くと見えて来る巨大な会議棟をくぐって建物内に入りますが、エントランスホールから東7ホールまではやや距離があって、途中には動く歩道が設けられているほどです。
東7ホールは約11,680㎡と広大で、今回のイベントでは10台のバスの展示を中心にして、グッズ販売や催しコーナーのブース、ステージなどが設けられました。
これまで「バスの日」などにちなんだバスイベントはいくつも行われてきましたが、屋内で開催するバスイベントは比較的珍しいと思われます。
■ 時間内では遊びつくせないほどの豊富なコンテンツ!
今回のイベントは、大きく分けてバスの車両展示をはじめとする展示コーナー、体験コーナー、物販コーナーが設けられたうえ、ステージショーなども催されて、都営バス100周年と「みんくる」25周年を祝うにはふさわしいボリュームのコンテンツが用意されました。
ステージは大型ノンステップ路線バスの前に舞台とモニター、音響装置を設けており、「みんくる」および東京さくらトラム(都電荒川線)マスコットキャラクター「とあらん」が「オープニング & みんくる25周年アニバーサリーステージ」を行って会場をわかせました。
また、TOKYO MX(東京メトロポリタンテレビジョン)の「岩下尚史(いわした・ひさふみ)×原田龍二(はらだ・りゅうじ) 都バス旅 アフタートークショー」、「みんくる」との記念撮影会、グッズ購入抽選(ちゅうせん)会も行われ、会場は大いに盛り上がりました。
体験コーナーの目玉としては、「みんくるの小部屋」と称するブースを設営し、フォトスポットとして「みんくる」をあしらった楽しげなパネルを設けたり、「みんくる」グッズがいっぱいの展示ケースが置かれたりして、記念撮影などを行う親子連れを中心とした来場者の姿が目立ちました。
このほかにも「みんくる」のぬり絵やペーパークラフトなどが楽しめる専用ブースを設けたり、参加型イベントとしてバスのダイヤ引き講習や、グッズ購入抽選券の入手条件も兼ねたクイズラリーが行われたりするなど、イベント開催時間中に全ては楽しみつくせないほどの豊富なコンテンツが用意されました。
会場の一角には各物販ブースも設けられ、グッズの販売はもちろんのこと、バス趣味誌・専門誌の出版各社が都営バスに関する刊行物を中心に販売を行いました。
また、東京都交通局が都営バス運転手の採用PRのブースを設けたほか、バス運転手総合サイト「バスギア ターミナル」もバス専門誌『バスグラフィック』とコラボレーションしたブースを出展して、サイトの紹介やバス運転手専門合同企業説明会「バスギア エキスポ」のPRを行いました。
この写真は販売開始前の様子ですが、各ブースは横一直線に設営され、どのブースも開催時間中、人波が途切れることがないほどの盛り上がりを見せました。
■ 展示車両最大の目玉は100年前のバス!
大きな会場で開催したイベントともあって、車両展示は10台にもおよびましたが、中でも注目を集めたのが、約100年前に運行されていた「円太郎(えんたろう)バス」です。
「円太郎バス」は、1923(大正12)年9月1日に発生した関東大震災で、甚大(じんだい)な被害を受けた路面電車に代わる公共交通機関として導入されたものです。
東京都交通局の前身でもある東京市電気局が、乗合自動車事業を開始するキッカケとなったうえ、震災によって壊滅した東京の復興を支えたバスとも言えます。
「円太郎バス」のベースはアメリカ合衆国の自動車メーカー・フォード製のTT型1tトラックで、シャーシと客室部分のパーツを輸入して、日本で組み立てを行って完成させたとのことです。
その数は実に800台。
1924(大正13)年1月18日から当時の巣鴨~東京駅および中渋谷~東京駅で運行を開始したと言われています。
ベースがトラックであることもあって急ごしらえのトラック然としたスタイルで、客席には雨・風をよける巻き上げ式のシートがあるものの窓ガラスがないことが分かります。
これらのことは震災後、路面電車に代わる足としての緊急措置(そち)で一挙に大量導入しなければならなかったという歴史的背景が影響していると思われます。
「円太郎バス」の名称の由来は、明治時代初期の落語家である4代目橘家圓太郎(たちばなや・えんたろう)にあると言われています。
4代目橘家圓太郎は、当時東京で運行していた乗合馬車の御者(ぎょしゃ)のラッパを吹き、物まねをして人気を博していたため、東京の乗合馬車に「円太郎馬車」という呼び名が付き、大量導入されたバスがその馬車に似ていたことから「円太郎バス」と呼ばれるようになったとのことです。
東京都交通局公式ホームーページに記載のデータによると、全長4.628m、全幅 1.567m、全高 2.26mで、全長はおおよそ現在のコンパクトカー、全幅もおおよそ現在の軽自動車ほどのサイズとなります。
ただ、客室はそれよりもさらに小さなサイズとなるうえ、全高はあるものの床面も高い位置にあることから、現在の目から見ると客席はきゅうくつな印象が否めません。
しかし、「円太郎バス」は11人乗りのワンマンカーとして、震災後の市民の重要な足となりました。
車内には入れないことから、車両後方の車外からのぞいてみた運転席の様子です。
ステアリングホイール(ハンドル)は現在の自動車のものとは異なり細く、スポークもデザイン性にとぼしいことから、水門のバルブや鉄道貨車のブレーキハンドルのようです。
計器類も非常に簡素なものとなっています。
「円太郎バス」ベースとなったフォードTT型は、世界で初めて大量生産された乗用車フォードT型の商用車版であることから、構造や装備には当時の合理的な思想が垣間(かいま)見えます。
客席の様子ですが、トラックの荷台を改造しており、向かい合うように横向き座席を設けていることが分かります。
当時の日本人の体形は現在よりも小柄(こがら)で華奢(きゃしゃ)な人も多かったと思われますが、それでも足元のスペースはかなり狭かったのではないかと想像されます。
その「年齢差」100年!
最新型の水素で走る燃料電池バス・2024年式トヨタSORA ZBC-MUM1NAEの局番S-K178(江東210あ・178)と、1924(大正13)年に導入された「円太郎バス」のツーショット。
この「円太郎バス」は、1924年10月に日本で最初の肢体不自由児向け学校の柏(かしわ)学園が当時の東京市から購入し、1955(昭和30)年に同学園が交通博物館へ寄贈した後、2007年に交通博物館から鉄道博物館への移管を経て、2011年からは東京都交通局施設内にて保管されているものです。
今回のイベントでの展示は、2011年の7月から9月にかけて、都営交通100周年記念事業の一環として東京都江戸東京博物館にて実施した「東京の交通100年博」で展示されて以来、久々のこととなりました。
100年の間でのバスの進化を大いに実感できる車両展示でした。
※ 協力 : 東京都交通局
※ 写真・文 : バスグラフィック編集部
※ 記事中の車両についてのお問い合わせなどを事業者へ行わないようお願い申し上げます。
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