Staff 01
なりたい自分へとつながる道を走り続けます。
川﨑 菜津子
NATSUKO KAWASAKI
ディーフェスタクオーレ立川
介護福祉士/正社員
2014年入社
Interview
インタビュー
-
Topic 01
誰かのために働く人になりたい。熱意を伝え続け、描き続けた夢をようやく叶えました。
介護の仕事をするのは、幼いころからの夢でした。介護施設で働く母や医療関係の仕事に就く親戚を見て、私も人のためになる仕事がしたいと思っていたからです。憧れを抱くようになってからは、ボランティアとして母の働く介護施設の手伝いをするようになりました。高校でヘルパー2級の資格を取得し、実際の現場を見ることで介護の仕事に対する想いはさらに膨み、介護業界への就職を決め、父からは賛同を得られたものの、身をもって介護の仕事の大変さを知る母やケアを受けた経験のある祖母は猛反対。それでも誰かのために働きたいという私の情熱は衰えず、粘り強く説得して、介護業界へ進むことができました。卒業後は、地元の佐賀県ではなく、憧れていた東京で、親元から離れてどこまでできるか試したいとの想いがあり、進路相談の先生が探してくれたディーフェスタリリーフ東久留米の前身である施設での就職を希望したのです。ただ今度は介護業界への就職を決めたときと賛否が入れ替わり、母が上京を応援する側で父が反対する側に回りました。母と、当時の施設を運営していた会社の社長も父の説得に駆けつけてくれて、晴れて東京で介護業界への第一歩を踏み出すことができたのです。
-
Topic 02
入居者様との心の距離が縮まる瞬間。その喜びは今も鮮明に覚えています。
入社後は先輩と一緒に入居者様のケアをしながら介護技術を習得。学校でも学んでいたものの、先輩たちのように、自分なりのやり方を確立するまでは戸惑いの連続でした。まずは先輩の動きを真似することから始め、慣れることに専念。徐々に気持ちにも余裕ができ、先輩たちの介助方法を取り入れつつ、自分自身には何が一番適しているか、入居者様だけでなく、自身にも負担をかけないケアの仕方を考えて動けるようになりました。入居者様と接するうえでの心がけは、声を低くし、どんなときでも穏やかな口調で話すことです。ご高齢の方が聞き取りづらいとされる高いトーンでの声かけは避けるようにしています。何気ない日常で喜びを感じられる瞬間が多い中、今でも特に記憶に残っているのは、入職して2年ほど経ったときの出来事です。特定の職員からしか食事を受け付けなかった入居者様が、私の介助により完食するまでに距離を縮めることができました。先輩の介助方法をひたすら観察し、声かけなどにも工夫を凝らしてサポートしていたので、頑張りが報われるうれしさと同時にその方の仲間に加われたような、あたたかな気持ちにもなれ、喜びもひとしおだったことを覚えています。
-
Topic 03
入居者様との思い出を積み重ねながら、さらなる高みを目指したい。
「東京で介護の仕事」という夢を叶え、2021年で丸7年。上京したばかりのころは、新生活に胸を躍らせるも、ふとした疑問に、親元を離れ、家族や友人ともなかなか会えない寂しさに心が折れそうになったこともあります。そんな私を力強く支えてくれたのが、入居者様と一緒に働く仲間です。入居者様からいただく「ありがとう」という言葉は、私を奮い立たせてくれた勇気の源に他なりません。仲間は頻繁にプライベートで食事に誘ってくれて、親身になって話を聞いてくれたおかげで孤独にならずに済み、寂しさを乗り越えることができました。今の私があるのは間違いなく、入居者様と仲間のおかげです。感謝しています。ディーフェスタクオーレ立川に異動してまだ間もないですが、これからも入居者様との触れ合いを楽しみながら信頼関係を育み、たくさんの思い出をつくっていきたいです。仕事においては、介護福祉士の資格を取得しましたが、私の挑戦は終わりません。今後もケアマネジャーをはじめ、さまざまな福祉関連の資格を取得し、さらなるキャリアアップを目指していきます。
プロフィール
Profile
川﨑 菜津子
介護福祉士 / 正社員 2014年入社
佐賀県出身。介護施設で働く母の影響で介護の仕事を志す。憧れの地であった東京で“誰かのためになる仕事がしたい”という想いを持ち、上京に反対する両親を説得し、ディーフェスタリリーフ東久留米の前身である施設に入社。2021年4月に現在のディーフェスタクオーレ立川へ異動。介護士福祉士になった今でもケアマネジャーの取得を目指すなど向上心は健在。休日は趣味であるアニメ鑑賞でリフレッシュしている。
取材日:2021年4月