3月15日会社員だった私は一念発起し、起業を決意し、有限会社ケアマインドを設立。当然経営者としての経験などなく、全てが新たな経験。創業当時人材を集めるのは苦労することなく集めることはできましたが、本当に信頼できる方との出会いがなく、岐阜県出身の私が頼るのは会社員だった時の取引先担当者だけ。川西市という全く知らない土地で、福祉用具取り扱いの知見を活かしたオープニング内覧会を行うも、素人同然のデイサービス経営には大変な苦戦を強いられ、知名度の無さも重なり売り上げの伸び悩みや、人材がなかなか定着しないなど、軌道に乗る兆しも見えずとにかくがむしゃらに活動をしていたのが懐かしい時期。
デイサービスの集客に悩んでいた時、ある取引先のケアマネさんより、多職種合同研修会にて、ご担当頂いていたターミナルでしかも暴力行為のあるK様の事例を、100名近い市内ケアマネ様へ事例発表を頂く機会を頂きました。困難な事例でも決してお断りすることなく、個別の介護サービスプログラムの実行と、献身的な介護サービスの実態を発表させて頂き、沢山の拍手を頂くことに成功。その後、大変ありがたいことに新規ご利用のお問い合わせが殺到し、一気に定員近くの稼働に成長できました。2008~2009年もその傾向を維持でき、会社もようやく軌道に乗ることができました。
デイサービスの運営では特に認知症の強いご利用者様に力を入れ、地域の支持を頂いてきた中で、住み慣れた地域で安心して生活ができる、認知症グループホームを作って欲しいというご要望を多数頂戴しまして、満を持して7月初めての24時間365日の介護施設を開設するに至りました。私自身一通りの勤務に入り、食事・入浴・排泄の各種介助や、夜勤帯の勤務に入り、介護現場で働く方々の苦労を体感。やりがいのある仕事なのに、もったいないと感じる。もっと介護現場で働く方々が輝ける業界にしなければならないし、若い方が憧れるような仕事にしていかなければならないと、心に決めました。同時に川西市介護保険サービス協会の会長へ就任させて頂いた年でもありました。
創業7年目、実績と多少なりとも企業価値が生まれてきたこの年は、事業所の開設ラッシュでした。年間を通して、立上げ準備に終始追われバタバタしていた記憶が蘇ります。個人経営から一企業を目指し組織化を推進。伊丹市・尼崎市という違うエリアでの出店は知名度という点で、殆どありませんでしたので、知って頂くことに注力し、差別化を図ることに頑張りました。予想はしていたものの、なかなか目標通りの実績にはならず、川西事業所に支えてもらっていたような状況。一方沢山の仲間が増えて、スタッフが一気に100名を超えるような数になった。そして、こころ・そらグループとして徐々にブランド価値が生まれていきました。
創業第1号店の事業所を時代に合った介護ニーズにお応えするため、新築移転しリハビリデイこころ川西南として生まれ変わりました。この事業所では最高のスタートダッシュができて名実ともに地域No.1事業所と自負できた。常に利用の待機者が生まれるような状況でした。一方、急ピッチで事業所開設を積極的に進めた事での運転資金負担が増加し、困難な経営のかじ取りを強いられ、経費の負担軽減の取り組みを全社挙げて取り組みを実施。また人材教育に力を入れ始め組織としての在り方を大きく変換する時期を迎えたタイミングでもありました。
“地域包括ケアシステム”を実現させようと、在宅看護・リハビリサービスを拡充するため、川西市に事業所を新規開設。ちょうどこの時期、訪問看護事業所が地域にどんどん増えてきた頃でした。競合も増えつつありましたが、独自のサービスに特化し看護・リハビリ共に在宅のご利用者様が増えていきました。更に兵庫県経営革新計画承認企業の認定を受けて、具体的な事業計画を策定し地域包括ケアの足掛かりを作るために着手を開始。
本部強化の移転と同時に、サービス付き高齢者向け住宅、同一建物内にデイサービスの各新規開設と共に、今まで着手していなかった在宅サービスの要でもある、訪問介護及び居宅介護支援の各事業所を開設し、より地域密着を根ざした介護サービスを目指すために新規事業をスタート致しました。また、もう一つの大きな目的であった職員間のコミュニケーションを強化し、スキルアップのための研修充実を図るため、30名収容できる会議・研修室を作り、底上げを図っていけるハードが整いました。
この年はご承知の通り“コロナ禍”が始まった年。度重なる緊急事態宣言に伴う、通所系サービスの抑制の影響が大きく響き、利用率の低下を余儀なく影響を受けたと共に、職員のモチベーションも感染リスクと隣り合わせとなり、非常に不安な状況の中で感染リスクと向き合い、感染予防対策を講じてきた不安の中での1年間でした。以前より介護業界の人手不足を何とか解消していきたいと試行錯誤の第一歩として、有料職業紹介事業の許認可を受け具体的に外国人介護人材を世の中へ送り出していかなければならないという、強い気持ちになったタイミングでした。
外国人人材の日本語、マナー、介護技術など一連の想いを形にするため、大阪府淀川区にて入国後法定講習を受講できる新たな国際学園を開設。現実はコロナ禍に振り回され水際対策等の措置に伴い、海外からの実習生入国に大きな制限が掛けられ、当初想定していたような稼働とはなりませんでした。海外の事情は日本に入国したくても入国できない外国人人材が相当数待たされる事となり、ズームを駆使しミャンマー送り出し機関とやり取りを行いながら、水際対策が緩和されることを待ち望んでいた状況でした。
水際対策が緩和され一気に日本へ実習生、特定技能、留学生人材が日本へ無事入国することは叶いました。特に夏以降は入国希望者が増え続け、学校受入れのキャパを超えてしまう状況とうれしい悲鳴ですが、運用スタッフ、学生寮の確保が大きな課題となっています。ケアプロダクト協同組合の活動も本格的に始動し、実習生・特定技能の全国からオファやご相談をお受けして、来年以降全国展開を目指して海外人材事業を拡大していける展望が見えています。ウクライナへのロシア侵攻が進み世界経済が非常に不安定化。本業の介護事業もコロナ第7派による影響を受け、更に物価高騰による経費負担の増大となり、この状況に耐えれるだけのリスクヘッジを進め、社会の役に立てる会社の姿を目指したいと考えています。