バス運転士としてのあゆみ

INTERVIEW

運転士の写真

40代から新たな挑戦、南海バスで「かなえた」バス運転士の道

甲斐運転士・2017年入社

バス運転士になろうと思ったキッカケは何ですか?

若い頃はガソリンスタンドの店員やレストランのお弁当やオードブルの配達業務をしていました。
その時に身についた接遇やマナーが、バス運転士となった今の自分の強みとなっています。
きっかけは、40歳を過ぎた頃に南海グループのバス運転士募集の広告をふと見かけて、子供の頃の夢だったことを思い出し、一度は諦めていた夢を叶えるのは今しかないと応募しました。

南海バスグループに入社しようと決めた理由を教えてください。
あと、その時のご家族の反応はどうでしたか?

他のバス会社も検討しましたが、その中で南海ウイングバスに決めた理由は「南海」の地域に根差したブランドイメージに好感を持っていたことです。家族もいるので大手の南海電鉄グループという安定感と安心感もポイントでした。また、運転士未経験でも正社員で採用してくれる点や福利厚生がしっかりしていることも大きな理由で、有給休暇の取得率も90%程度というのも魅力でした(乗務し始めて、有給休暇が本当に取れると知った時はちょっとしたカルチャーショックを受けました…)。そして、自宅から職場まで近かったことも外せない要素で、不規則勤務ゆえに通勤の負担が少ない環境を選べたことも、この仕事を長く続けられている理由です。
あと、ロゴマークのオレンジ色も好きなのも応募動機の一つです(笑)。
夢へ向かって転職することを妻はすごく応援してくれたので、改めて頑張ろうという気持ちになりました。

乗務して大変だったことを教えてください。

最初の配属は関西国際空港島内の営業所で、日本で唯一?路線バスが24時間運行しており、夜勤(夜出勤→翌朝退社)もある不規則な勤務に慣れるまでが大変でした。
更に、空港島内は制限区域(※保安検査を通過した先の区域で、航空旅客や職員など限られた人しか入れない)があるため、その区域内で乗務するための規則を覚えることも苦労しましたね。
配属後の3ヶ月間で路線バスやランプバス、リムジンバスの教習を経て乗務を始め、1年半後には連節バスも任されるようになりました。
しかし、入庫するたびに「あの場面ではこうすべきだったかな?」と自問自答の日々が続きます。
何とか一人前の運転士になれたと思えたのは入社して5年目ぐらいだったでしょうか、大阪府知事が出席した「燃料電池バス」のオープニングセレモニーに営業所代表としてハンドルを握る事ができた時ですね。

その後、どのような経験を積まれてステップされたかを教えてください。

南海バス堺営業所へ異動となり、経験したことがない市街地中心の乗務に変わりました。
たくさんのお客さまを乗せて交通量の多い道路を運行するため、これまでとは異なる緊張を覚えながらハンドルを握り、再び自問自答の日々が始まります。
数年乗務して自信を取り戻したころ、営業所長から「ドライビングマイスター」登用試験を勧められました。これは高い運転技術、安全意識、接遇力の証であり、800名を超える運転士のうち10名程しか任命されていません。
自分には少し早いかとも戸惑いましたが一つの目標でもあり、思い切って受験しました。今では日常の乗務に加えて、営業所長や運行管理者と一緒に営業所全体の事故防止に向けた取り組みにも参画しています。
例えば、運行経路上で事故が発生しそうな場所を見つけた場合、運行管理者と共有して同僚の運転士に伝達したり、時にはその場所へ直接出向いて運転士に直接呼び掛けたりしています。
他にも、新人の運転士へこちらから積極的に話し掛けて不安や困っていることを聞き、アドバイスをしたり事故が発生しやすい所の地図を渡したりする等、少しでも安心して乗務できるようにサポートもしています。

今後の目標を教えてください。

43歳でバス運転士になり少しデビューが遅いかなと最初は感じていましたが、色々な経験を積み重ねてドライビングマイスターに就くことができました。
これからも運転士目線で、自分自身の無事故を継続することはもちろん、同僚運転士の事故を未然に防ぐ取り組みを続けていきます。
お客さまから優しくて安心な南海バスと思ってもらえるよう、頑張ります!

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