INTERVIEW
南出運転士・2019年入社
前職は、書道用品を扱う会社で25年程勤務し、墨や硯の販売員から外商の営業・中国製製品の輸入等の貿易業務を担当していました。
当時56歳、定年まで書道用品会社で勤務するつもりでしたが、遠方へ転勤の辞令と同時に家族の介護が必要になり、仕事と介護の両立させるために転職しよう決めました。
但し、介護を両立させながら、この年齢でゼロからスタートできる仕事は見つかりませんでした。
大型二種免許が無くても56歳で応募できること、自宅から近い大阪市東淀川区で働けること、正社員として安定した仕事であることから南海バスグループに応募しました。
無事採用内定を頂いた後、大型二種免許を取得して入社日を迎えました。その時は、引き続き正社員として働けると安心したと同時に、未知の仕事への心配や不安が日増しに大きくなっていきました。
車体感覚と運転操作に慣れるまでとても苦労しました。
バスを運転する場合、ハンドル操作やブレーキ操作を「ゆっくり」としなければならないのですが、自家用車のような運転操作をしてバスを大きく揺らしてしまい、教官からよく注意されました。
また、配属後も失敗の連続でした。運行ルートを間違えたり、運転を慌ててバンパーをこすってしまったり等。苦い思い出が色々あります。
自信を無くしてしまい、運転士に向いていないから辞めようかと。本当に悩みました。
その時は、営業所長や営業主任、先輩運転士に声を掛けてもらったり、失敗談を聞かせてもらったりしました。上手な方でも失敗した時があったのだから、未経験の自分がすぐ簡単にできるわけがない、日々の乗務を愚直に重ねて慣れるしかないと、自分に言い聞かせて何とか乗り越えました。
色々と苦労はありましたが、1年ぐらい経ったら自分のペースで乗務できるようになりました。「周囲を見るゆとり」が生まれ、そうするとお客さまへの心遣いができるようになり、感謝の言葉を直接頂けるまでになりました。この年でここまで成長できたのは、南海バス、その中でも井高野営業所に巡り会えたからでしょうね。
乗務中に足の不自由なお客さまが遠くから、一所懸命に手を振りながらバスに向かって歩いている姿を見かけました。バス停まで距離があり、運行も遅れていたことからそのまま通過する判断も間違いではないのですが、バス停に停車して乗客に一言断りを入れてお待ちしました。後日、ご家族と一緒に営業所までお見えになり、私宛に感謝のお言葉を頂戴したことは今でも忘れられませんね。バス運転士を頑張った甲斐があったと思いました。
これからは、新人バス運転士に頼られるような存在になり、今までの先輩たちがして下さったことを、後輩をフォローする形で恩返しをしたいと思っています。お客さまへの心遣いが更にできる運転士へと進化したいですね。技術の向上と体調管理に気をつけながらまずは65歳の定年まで、以降も無理のない範囲でこの仕事を長く続けたいですね。